勺光の孫、山村平四郎光俊の代になって萩の松本から、湯本温泉に近い深川三(そう)の瀬に移り開窯したのが深川萩(山口県長門市)です。この深川萩も御用窯で、現在では坂倉新兵衛(さかくらしんべえ)・坂田泥華(さかたでいか)・田原陶兵衛(たはらとうべえ)・新庄助右衛門(しんじょうすけえもん)の四窯があります。12代新兵衛は、人間国宝でした。
この項にて14代新兵衛も人間国宝とご紹介しておりましたが、その記述は誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。
萩焼は朝鮮茶碗の流れをくみ、貫入のある白い長石釉が主体で、高台に切れ目を入れた割高台・切高台などが特徴です。
三島手と同じく、李朝初期から中期にかけて南朝鮮一帯で焼かれたようで、作風の上でも共通点が多くあります。鶏竜山では三島手と一緒に焼けていて、ほぼ発達の年代を同じくしたことが分かります。
素地に白泥を化粧がけするやり方は、高麗末期からすでに行われていたようで、扁壺や徳利のいわゆる掻き落とし手がそれですが、刷毛目の手法もその流れを汲むもので、白化粧が李朝になって量産する上でその手間を省くようになり、簡便な装飾法として生まれたのが刷毛目です。
白泥の刷毛目によってこの名があります。この刷毛目は白化粧の簡略されたもので、はなはだ素朴ながら一種の装飾であり、文様効果もあげていますが、この種の茶碗では、この刷毛目の味は作行きと並んで大事に見所になっています。
1831年桑名の森有節が小向釜を再興し、煎茶器・酒器を焼き「再興万古」と称しました。その後55年、竹川竹斎が弄山の遺法を継いで飯南郡射和(いさわ)村の邸内で「射和万古」を焼きました。
三重県の焼き物で、元文(1736〜41)年間頃桑名の豪商、沼波弄山(ろうざん)(1718〜77)が近郊の小向(おふけ)で創業したのが始まりといわれています。「万古」「万古不易」の印を用いたことからこう呼ばれています。「古万古」は茶器類が多く、とくにさらさ模様などの赤絵が名高いようです。後に弄山が江戸で焼いたものを「江戸万古」といいます。
備前も信楽や南蛮と同様に、茶席で使うときにはあらかじめ水を打ちますが、水にぬれるとはじめて持ち前の冴えた美しさが生き生きと現れてきます。備前焼の水にぬれた美しさは、まったく素晴らしいものです。
古備前の魅力を現代に復興するのに大変な功績のありました、人間国宝の故 金重(かなしげ)陶陽や故 藤原啓とか山本陶秀氏など優れた作家が今日の伊部でたくさん生まれています。
この三島手は、素地に押し型で同じ小紋を連続して一面に押し、表面に白い化粧土を刷いてふきとり、凹んだ文様の部分だけを象嵌風に白く表したものですが、たいていは白い刷毛目の痕が残ったり、あるいは白化粧がほとんどそのまま残って粉引きのようになったりしていますが、そこがかえってくだけた侘びた味がでて喜ばれています。
三島手も高麗茶碗の中では、井戸と並んで最も早く日本に渡り、その特色ある文様によって、すでに室町時代の末頃には茶人の間で愛好されていたようです。
元屋敷窯(織部の項参照)に限って焼かれたものに美濃伊賀があります。これはいわゆる古伊賀に似たもので、一名伊賀織部とも言われています。花入れと水指しでは、一部に飴釉や白泥をかけて景色にしています。
美濃瀬戸焼は、志野・瀬戸黒・黄瀬戸・織部の総称です。美濃窯(岐阜県多治見地方)は瀬戸系なので、昔は瀬戸焼きと呼ばれていましたが、窯の場所が瀬戸とは違うので美濃瀬戸と呼ばれることもあります。
油滴は遺品が少ないですが、それでも曜変にくらべるといくらか多いし、日本以外にもあるようです。また曜変は建盞(けんさん)にしか見られませんが、油滴の方は建窯だけではなく、華北の諸窯でも出来ています。有名なものに竜光院の油滴があります。
曜変の名は茶人が付けたものといわれ、窯変からきています。その遺品は極めてまれで、しかも日本を除いて本場の中国にも欧米にも、世界中のどこにもない貴重なものといわれています。我が国でも淀の城主稲葉家伝来の稲葉天目や、京都大徳寺竜光院の曜変など、わずかに数点が伝えられているだけです。
曜変というのは、内部の漆黒の釉面に結晶による大小さまざまの斑紋が群をなして一面に現れ、その周りが瑠璃色の美しい光彩を放っているものを指して呼んでいます。
釉もきれいで、俗に礼賓釉というくらいです。礼賓銘がなくても、この手の上手の三島は、時に礼賓手と呼んでいます。
楽焼きの元祖は帰化人の飴也(あめや)という人物で、その子が初代の長次郎(天正17年没)です。長次郎はもと瓦職人でしたが、利休の知遇を得てから彼の指導のもとに楽茶碗を作るようになったと言われています。当時、長次郎の茶碗は聚楽第の中で焼かれたので聚楽焼といわれ、その後楽印を拝領したことなどから楽焼と呼ばれるようになりました。素地は聚楽土といわれる赤土で、土見ずの総釉です。
赤 楽
昔から、一楽二萩三唐津といって茶の湯では楽を最高としております。まさに楽は茶の湯のために作られたお茶碗と言えましょう。楽焼きは天正年間に京都で起こってから約四〇〇年、楽家代々絶えることなく今日まで独特の手法を伝えて来ました。まさに日本の焼き物の中でも最も日本的な焼き物と言っても良いでしょう。
黒 楽
黒楽は加茂黒石を使った釉を厚くかけ、釉肌はやわらかくて光沢がなく茶がかっています。これを茶釉(ちゃぐすり)肌といいます。この茶釉肌は水の乾きが不思議と早くて、水分が見込みの方からすぐに引いてゆきます。黒楽は窯から鉄鋏(てつはさみ)ではさみだすので、鋏痕がついています。
赤楽は、唐土(とうのつち 鉛釉)に長石分を混ぜた半透明の白釉を赤い聚楽土の上にかけています。なお、後世のものでは白素地に黄土で化粧がけした上に透明な楽釉をかけています。赤楽には見込みに目があります。
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